2017年3月15日水曜日

審決取消訴訟 特許 平成27(行ケ)10167  知財高裁 無効審判 不成立審決 請求認容

事件番号
事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成29年3月8日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官 鶴 岡 稔 彦 
裁判官 大 西 勝 滋 
裁判官 杉 浦 正 樹 

「 1  取消事由2(実施可能要件違反,サポート要件違反,新規性欠如及び進歩性欠如(無効理由2ないし5)についての判断の前提となる本件訂正発明の要旨認定の誤り)について
      事案に鑑み,取消事由2について判断する。
    本件訂正発明において,「緩衝剤」とされる「シュウ酸」については,オキサリプラチン溶液に外部から添加されるシュウ酸(以下「添加シュウ酸」という。)と,水溶液中でのオキサリプラチンの分解によって生じるシュウ酸イオン(以下「解離シュウ酸」という。)が観念されるところ,本件審決は,本件訂正発明における「緩衝剤の量」について,解離シュウ酸をも含んだ「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」を意味するものとして本件訂正発明の要旨を認定し,それを前提に,実施可能要件違反,サポート要件違反,新規性欠如及び進歩性欠如の各無効理由(無効理由2ないし5)についての判断をした。
    これに対し,当裁判所は,本件訂正発明の「緩衝剤の量」とは,解離シュウ酸をも含んだ「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」ではなく,解離シュウ酸を含まない「オキサリプラチン溶液組成物を作製するためにオキサリプラチン及び担体に追加され混合された緩衝剤の量」を意味するものと解釈すべきであり,そうすると,本件審決の上記要旨認定は誤りであって,その誤りは,無効理由についての審決の判断に影響を及ぼすものであるから,原告主張の取消事由2には理由があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。
      本件訂正発明について
      ア  本件訂正発明に係る特許請求の範囲の記載は,前記第2の2のとおりである。
          そして,本件訂正明細書の発明の詳細な説明には,次のような記載がある。
        技術分野に関する記載
「本発明は,製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物,癌腫の治療におけるその使用方法,このような組成物の製造方法,およびオキサリプラチンの溶液の安定化方法に関する。」(段落【0001】)
        従来技術に関する記載 ・・・
 
イ  以上を総合すると,本件訂正発明は,従来からある凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン生成物及びオキサリプラチン水溶液(例えば,豪州国特許出願第29896/95号(WO96/04904)に係るものであり,甲2公報記載の発明と同一のもの)の欠点を克服し,すぐに使える形態の製薬上安定であるオキサリプラチン溶液組成物を提供することを目的とする発明であり(本件訂正明細書の段落【0010】,【0012】ないし【0016】,【0017】),オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤であるシュウ酸又はそのアルカリ金属塩及び製薬上許容可能な担体である水を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物に関するものである(特許請求の範囲,本件訂正明細書の段落【0018】)。そして,この緩衝剤は,所定範囲のモル濃度で上記組成物中に存在することでジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不純物の生成を防止し,又は遅延させることができ(特許請求の範囲,本件訂正明細書の段落【0022】,【0023】),これによって,本件訂正発明は,従来既知の前記オキサリプラチン組成物と比較して優れた効果,すなわち,①凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン生成物と比較すると,低コストで,かつさほど複雑でない製造方法により製造することができ,また,投与前の再構築を必要としないので,再構築のための適切な溶媒の選択に際してエラーが生じる機会がなく,②甲2公報記載の発明を含むオキサリプラチンの従来既知の水性組成物と比較すると,製造工程中に安定であり,生成されるジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不純物が少ないという効果を有するものであること(本件訂正明細書の段落【0030】,【0031】)が認められる。
        本件訂正発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むか,それとも添加シュウ酸に限られるか。
    ア  特許請求の範囲の記載について
          本件訂正発明における「緩衝剤」の意義について,まずは,特許請求の範囲の記載からみて,いかなる解釈が自然に導き出されるものであるかを検討する。 
    まず,本件請求項1の記載によると,本件訂正発明は,①「オキサリプラチン」,②「緩衝剤」である「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」及び③「担体」である「水」を「包含」する「オキサリプラチン溶液組成物」に係る発明であることが明らかである。そして,ここでいう「包含」とは「要素や事情を中にふくみもつこと」(広辞苑〔第六版〕)を意味する用語であるから,本件訂正発明1の「オキサリプラチン溶液組成物」は,上記①ないし③の3つの要素を含みもつものとして組成されていると理解することができる。すなわち,本件訂正発明1の「オキサリプラチン溶液組成物」においては,上記①ないし③の各要素が,当該組成物を組成するそれぞれ別個の要素として把握され得るものであると理解するのが自然である。
          しかるところ,本件特許の優先日当時の技術常識によれば,解離シュウ酸は,オキサリプラチン水溶液中において,「オキサリプラチン」と「水」が反応し,「オキサリプラチン」が自然に分解することによって必然的に生成されるものであり,「オキサリプラチン」と「水」が混合されなければそもそも存在しないものである(当事者間に争いがない。)。してみると,このような解離シュウ酸をもって,「オキサリプラチン溶液組成物」を組成する,「オキサリプラチン」及び「水」とは別個の要素として把握することは不合理というべきであり,そうであるとすれば,本件訂正発明1における「緩衝剤」としての「シュウ酸」とは,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られると解するのが自然といえる。
        次に,「緩衝剤」の用語に着目すると,「剤」とは,一般に,「各種の薬を調合すること。また,その薬。」(広辞苑〔第六版〕)を意味するものであるから,このような一般的な語義に従えば,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するものとして調合された薬」を意味すると解するのが自然であり,そうであるとすれば,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離
シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「緩衝剤」には当たらないということになる。
          この点,被告は,本件訂正明細書の発明の詳細な説明において,「緩衝剤」という用語が定義されている以上,「緩衝剤」という用語の「剤」の部分のみを持ち出して解釈すべきではないなどと主張するが,発明の要旨認定において,まずは特許請求の範囲記載の文言に着目し,その語義を探究することは当然に行われるべきことであるから,本件訂正発明に係る特許請求の範囲に記載された「緩衝剤」の文言に着目し,その意味を検討するに当たって,「剤」の用語の語義を参酌することは当然許されることといえる。なお,被告が指摘する上記定義に基づく解釈については,別途後記イにおいて検討するとおりである。
        更に,本件訂正発明1においては,「緩衝剤」は「シュウ酸」又は「そのアルカリ金属塩」であるとされるから,「緩衝剤」として「シュウ酸のアルカリ金属塩」のみを選択することも可能なはずであるところ,オキサリプラチンの分解によって自然に生じた解離シュウ酸は「シュウ酸のアルカリ金属塩」ではないから,「緩衝剤」としての「シュウ酸のアルカリ金属塩」とは,添加されたものを指すと解さざるを得ないことになる。そうであるとすれば,「緩衝剤」となり得るものとして「シュウ酸のアルカリ金属塩」と並列的に規定される「シュウ酸」についても同様に,添加されたものを意味すると解するのが自然といえる。
        以上のとおり,本件訂正発明に係る特許請求の範囲の記載からみれば,本件訂正発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが自然であるといえる。
    これに対し,被告は,本件請求項1において,オキサリプラチン溶液組成物は,「有効安定化量の緩衝剤」を「包含する」と記載され,「緩衝剤の量」は溶液中での「モル濃度」で規定されているところ,「包含」とは「つつみこみ,中に含んでいること」を意味し,「モル濃度」とは単位体積の溶液中に存在する溶質の物質量を意味することからすると,「緩衝剤の量」は,解離シュウ酸をも含んだ「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」を意味する旨を主張する。
  しかし,本件訂正発明における「緩衝剤」を外部から添加されるものに限定するとの解釈を採ることが,被告主張の特許請求の範囲の記載と矛盾するとはいえない。
 すなわち,まず,「包含」の意味が上記のとおりであることを前提としても,「緩衝剤…を包含する…組成物」とは,「緩衝剤をつつみこみ,中にふくむ組成物」を意味するにすぎず,これによって,当該組成物中
の「緩衝剤」の由来について,添加されたものに限るか否かの解釈が当然に定まるものではなく,他の根拠に基づいて,本件訂正発明の「緩衝剤」を外部から添加されたものに限るとの解釈を採ったとしても,上記文言と矛盾することにはならない。
 また,添加される「緩衝剤の量」を添加後の溶液中でのモル濃度(すなわち,添加される緩衝剤の物質量と,その添加先である溶液の体積から算出されるモル濃度)をもって規定することもあり得ることといえるから,「緩衝剤の量」が「モル濃度」で規定されていることも,「緩衝剤」を外部から添加されるものに限るとする解釈と矛盾するものではない。
 したがって,被告が主張する特許請求の範囲の上記記載を考慮しても,したがって,被告が主張する特許請求の範囲の上記上記(エ)の記載を考慮しても,判断が左右されるものではない。
    イ  本件訂正明細書における定義について
          以上のとおり,特許請求の範囲の記載からは,「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸のみをさすと解するのが自然であるといえるものの,なお,疑義の余地がないとはいえないので,本件訂正明細書の記載をみることとする。すると,本件訂正明細書の段落【0022】には,「緩衝剤という用語」について,「オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」として,これを定義付ける記載(以下,この定義を「本件定義」という。)があるので,まず,これとの関係で,いかなる解釈が相当であるかについて検討する。
       (ア)  「酸性または塩基性剤」との記載について
            本件定義においては,「緩衝剤」について「酸性または塩基性剤」であるとされ,飽くまでも「剤」に該当するものであることが前提とされている。しかるところ,前記 のとおりの「剤」という用語の一般的な語義に従う限り,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸は,上記「酸性または塩基性剤」には当たらないと解するのが相当といえる。
       (イ)  「不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得る」との記載について
          a  オキサリプラチン水溶液においては,オキサリプラチンと水が反応し,オキサリプラチンの一部が分解されて,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸(解離シュウ酸)が生成される。その際,これとは逆に,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸が反応してオキサリプラチンが生成される反応も同時に進行することになるが,十分な時間が経過すると,両反応(正反応と逆反応)の速度が等しい状態(化学平衡の状態)が生じ,オキサリプラチン,ジアクオDACHプラチン及びシュウ酸の量(濃度)が一定となる。また,上記反応に伴い,オキサリプラチンの分解によって生じたジアクオDACHプラチンからジアクオDACHプラチン二量体が生成されることになるが,その際にもこれとは逆の反応が同時に進行し,同様に化学平衡の状態が
生じることになる。
              以上は,本件特許の優先日当時の技術常識であり,この点は当事者間に争いがない。
            b  しかるところ,上記のような平衡状態にあるオキサリプラチン水溶液に外部からシュウ酸を添加すると,ル・シャトリエの原理(熱力学的平衡状態にある系が外部からの作用で平衡が乱された場合,この作用に基づく効果を弱める方向にその系の状態が変化するという原理。甲4)によって,シュウ酸の量を減少させる方向,すなわち,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸が反応してオキサリプラチンが生成される方向の反応が進行し,新たな平衡状態が生じることになる。そして,この新たな平衡状態においては,シュウ酸を添加する前の平衡状態に比べ,ジアクオDACHプラチンの量が少なくなることが明らかであるから,上記の添加されたシュウ酸は,不純物であるジアクオDACHプラチンの生成を防止し,かつ,ジアクオDACHプラチンから生成されるジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止する作用を果たすものといえる。
            c  他方,解離シュウ酸は,上記aのとおり,水溶液中のオキサリプラチンの一部が分解され,ジアクオDACHプラチンとともに生成されるもの,すなわち,オキサリプラチン水溶液において,オキサリプラチンと水とが反応して自然に生じる上記平衡状態を構成する要素の一つにすぎないものであるから,このような解離シュウ酸をもって,当該平衡状態に至る反応の中でジアクオDACHプラチン等の生成を防止したり,遅延させたりする作用を果たす物質とみることは不合理というべきである。
            d  これに対し,被告は,本件定義によれば,水溶液中の不純物の生成の防止等に効果があれば「緩衝剤」に当たるということができるところ,オキサリプラチンを水に溶解して上記化学平衡の状態になった際には,解離シュウ酸が不純物であるジアクオDACHプラチンの更なる生成を妨げることになり,シュウ酸を添加した場合と同様の安定化効果が得られるのであるから,解離シュウ酸も「緩衝剤」に当たる旨を主張する。
 しかし,オキサリプラチンの分解に係る平衡状態が生じた際に,更にオキサリプラチンが分解してジアクオDACHプラチンが生成されないのは,自然の理によって化学平衡の状態に達したからであり,解離シュウ酸がジアクオDACHプラチンの生成を防止又は遅延させる作用を果たしているからであるとはいえない。
 したがって,被告の上記主張は理由がない。
    小括
        以上によれば,オキサリプラチン水溶液中の解離シュウ酸は,本件定義における「酸性または塩基性剤」に当たるものとは解されず,また,「不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得る」ものともいえないというべきであるから,本件定義に照らしてみても,本件訂正発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが相当である。 ・・・

オ  まとめ
    以上の検討結果を総合すれば,本件訂正発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に限られ,解離シュウ酸を含まないものと解すべきであり,したがって,本件訂正発明の「緩衝剤の量」とは,解離シュウ酸をも含んだ「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」ではなく,解離シュウ酸を含まない「オキサリプラチン溶液組成物を作製するためにオキサリプラチン及び担体に追加され混合された緩衝剤の量」を意味するものと解すべきである。
 (3)取消事由2の成否
 以上によれば,本件審決が,本件訂正発明の「緩衝剤の量」は「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」を意味するとの解釈に基づいてした本件訂正発明の要旨認定は誤りであるといえる。そして,本件審決は,当該要旨認定を前提として,実施可能要件違反,サポート要件違反,新規性欠如及び進歩性欠如の各無効理由(無効理由2ないし5)についての判断をしたものであり,上記「緩衝剤の量」が「オキサリプラチン溶液組成物を作製するためにオキサリプラチン及び担体に追加され混合された緩衝剤の量」を意味することを前提とした場合の上記各無効理由の有無については判断していない。特に,進歩性欠如の無効理由(無効理由5)については,請求人(原告)が当該解釈を前提とした場合の本件訂正発明1ないし17に係る進歩性の欠如を具体的に主張していたところ(本件の審判請求書(甲15)38~49頁),本件審決は,当該解釈が採用できないことを理由に,請求人(原告)の上記主張を検討の対象とせず,これについて何ら判断をしていない。してみると,本件審決の上記要旨認定の誤りは,少なくとも本件訂正発明1ないし17に係る進歩性欠如の無効理由についての審決の判断に影響を及ぼすものといえる。
 したがって,原告主張の取消事由2には理由がある。 」

【コメント】
 ここで年末にかけて多くの判決を紹介したオキサリプラチンの特許,第4430229号の事件です。今回は,侵害訴訟ではなく,無効審判を請求され,それが不成立だったため,審決取消訴訟となったものです。
 
 論点としては,侵害訴訟と同じで,自然に分解した解離シュウ酸も,構成要件B,F,Gの「緩衝剤」に当たるのか,それとも,添加されたシュウ酸またはそのアルカリ金属塩のみを言うのか,というクレーム解釈の話です。
 
 通常,審決取消訴訟ではここまで本願発明のクレーム解釈が問題とならないのですが,本件は特殊事情があります。
 といいますのは,審決では, 自然に分解した解離シュウ酸も,構成要件B,F,Gの「緩衝剤」に当たる=「本件審決は,本件訂正発明における「緩衝剤の量」について,解離シュウ酸をも含んだ「オキサリプラチン溶液組成物に現に含まれる全ての緩衝剤の量」を意味するものとして本件訂正発明の要旨を認定し」たのです。
 
 そして審決は,その後のサポート要件等や進歩性についてもその前提で判断しているのです。 

 ところが,このように広いクレーム解釈をしてしまうと,明細書中の従来技術とされた技術についても,クレームに含んでしまうという致命的なエラーが生じるようで,そこを原告は突いたわけです。
 
 ということで,判旨もいつものとおり,クレームと明細書中を丹念に読み込み, 構成要件B,F,Gの「緩衝剤」に当たるのは,添加されたシュウ酸またはそのアルカリ金属塩のみを言うと判断したわけです。
 
 なかなかおもしろい事件だと思います。
 
 さあ,これで決着がつくのかなあ。