2019年8月21日水曜日

審決取消訴訟 特許 平成30(行ケ)10055  知財高裁 無効審決 請求認容

事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 令和元年7月22日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第3部        
裁判長裁判官     鶴 岡 稔 彦        
裁判官     山 門   優        
裁判官    高 橋   彩 
 
「2  取消事由1(引用発明の認定の誤りに基づく相違点の看過)について 
・・・
 上記(1)の記載によれば,甲1文献には,前記第2の3(2)アのa)~m),o),p)の構成を備えた煙検知装置が開示されており,この点については当事者間に争いがない(以下「引用発明の争いのない構成」という。)。
 さらに,この煙検知装置について,「n)  長波長光からの振幅信号と短波長光からの振幅信号との比を比較することにより煙粒子の大きさを判定し,」との構成が開示されているかが問題となる。 
・・・    
(イ)  これによれば,「信号の比」(記載⑤)における「信号」は,「長波長光」が生成する「振幅信号」(記載③)と,「短波長光」が生成する「振幅信号」(記載④)であり,「信号の比」とは,長波長光が生成する振幅信号と短波長光が生成する振幅信号の比であると理解することも文脈上は可能であるようにみえる。
イ  本件記載の技術的意義について
    そこで,このような理解を前提に,本件記載を技術的に理解することができるかについて検討する。
(ア)  技術常識 
・・・
(イ)  本件記載の技術的意義
a  レイリー理論を前提とした場合
 記載④には,「短波長光は,大小の粒子いずれの場合にも,相対的に等しい振幅信号を生成することになる」という記載があり,この記載は,記載⑤の前提となっている。
 しかし,審決も指摘しているとおり,レイリーの理論からすれば,質量濃度を一定とした場合,長波長光が,小さな粒子の場合に小さな振幅信号を生成し,大きな粒子の場合に大きな振幅信号を生成するとすれば,短波長光は,長波長光よりさらに小さな粒子についても,粒子の大きさに比例した振幅信号を生成することとなり,大小の粒子いずれの場合にも相対的に等しい振幅信号を生成するとはいえない。
 そうすると,レイリーの理論から,記載④のようにいうことはできず,記載④を記載③及び記載⑤と整合的に説明することはできない。
          b  ミー散乱領域に関する理論を考慮した場合
  そこで,審決は,ミー散乱領域も考慮すれば,記載④に矛盾はないとする。すなわち,「α<0.3の領域における散乱光強度は粒径の3乗に比例し,α>5の領域における散乱光強度は粒径に反比例することからすると,α<0.3の領域の方が,α>5の領域よりも散乱光強度に対する粒径の影響が大きいものといえる。そして,同じ粒径の粒子に対して光を当てた場合,長波長の光を当てた場合の方が,短波長の光を当てた場合よりも粒径パラメーターαが相対的に小さくなるから,長波長の光を当てた場合の散乱光強度との関係はα<0.3寄りに,短波長の光を当てた場合の散乱光強度との関係はα>5寄りに位置するものと理解できる。したがって,長波長の場合に比べ,短波長の光を当てた場合の方が,粒子の大きさによって受ける影響の度合いは小さくなるので,『短波長光は,大小の粒子のいずれの場合にも,相対的に等しい振幅信号を生成することになる』といえる。」という趣旨の指摘をするのである。
  しかし,仮にα<0.3に近い領域においては散乱光強度が粒径の3乗に比例する関係が成立し,α>5に近い領域においては散乱光強度が粒径に反比例する関係が成立するとしても,その間における散乱光強度と粒径との関係については,審決は何ら明らかにしていないのであるから,これによって,常に長波長光に比べ短波長光は,相対的に等しい振幅信号を生成するといえるかどうかは明らかではないといわざるを得ない。この点について,被告は,「レイリー散乱領域からミー散乱領域よりもαが大きい条件の領域に向かって,レイリー散乱領域に近い側では,αが大きくなるに従って散乱強度が大きくなり,いずれかで必ず極大値に達し,その後αが大きくなるに従って散乱強度が小さくなって,ミー散乱領域よりも大きい条件の領域に近づく。」と主張するが,この主張は,散乱強度の大きさの変化を説明しているのにとどまるから,散乱強度と粒径と間の定量的な関係について説明がないという問題は,依然として解消されていない。
  また,審決の見解は,散乱角の違いによるばらつきを考慮していないという点においても問題があるものといわざるを得ない。すなわち,レイリー散乱領域よりαが大きい領域においては,上記(ア)b,cのとおり,散乱光強度は散乱角に依存して大きく変化し,αが変化した場合の散乱光強度の変化の仕方や程度は,散乱角θによってまちまちであることがわかる。そうすると,散乱光強度に対する粒径の影響は,散乱角θによって異なるといわざるを得ないのであるから,この点を考慮していない審決の見解には問題があるものといわざるを得ないのである(なお,引用発明の争いのない構成においては,第1の照明から照射される光と第2の照明から照射される光とでは,散乱角が異なることになるから,散乱角θによる影響はより一層複雑なものにならざるを得ないものと予想される。)。
  そうすると,審決の上記理解には問題があるといわざるを得ないから,ミー散乱領域を考慮したとしても,「長波長光が,小さな粒子の場合に小さな振幅信号を生成し,大きな粒子の場合に大きな振幅信号を生成するのに対し,短波長光が,大小の粒子いずれの場合にも相対的に等しい振幅信号を生成する」ということはできない。
          c  そして,他に記載④が成り立つことを裏付けるに足りるような根拠を見出すこともできないから,結局,記載④を記載③及び記載⑤と整合的に説明することはできないものといわざるを得ない。
 そうすると,当業者は,甲1文献から,引用発明の争いのない構成において「長波長光からの振幅信号と短波長光からの振幅信号との比を比較することにより煙粒子の大きさを判定」するという技術的思想を認識することはできないものというべきである。
(3)  相違点の看過
  以上のとおりであるから,本件発明1と引用発明は,相違点1のほかに,「本件発明1は,前記第1発光素子による煙の散乱光量と,第2発光素子による煙の散乱光量とを比較することにより煙の種類を識別する構成を有するのに対し,引用発明はこのような構成を有しない点」も相違点とするものといえる。本件発明2~6,8は本件発明1を直接ないし間接に引用するものであるから,上記に説示したところは,本件発明2~6,8にも妥当する。 そうすると,上記相違点の看過は,本件発明1~6,8についての特許を無効とした審決の結論に影響を及ぼすものであることが明らかであるから,取消事由1には理由がある。 」

【コメント】
 名称を「散乱光式煙感知器」とする発明に係る特許権(特許第4010455号)の特許権者である原告と,無効審判請求人である被告との間での無効審判からの審決取消訴訟の事件です。
 
 無効審判では,無効審決だったのですが(進歩性なし),訴訟では逆転で審決取り消しとなったものです。

 まずは,クレームからです。
【請求項1】
 検煙空間に向け,第1波長を発する第1発光素子と,第1波長とは異なる第2波長を発する第2発光素子と,第1発光素子と第2発光素子から発せられる光を直接受光しない位置に設けられた受光素子とを備えた散乱光式煙感知器に於いて,
 前記第1発光素子と受光素子の光軸の交差で構成される第1散乱角に対し,第2発光素子と受光素子の光軸の交差で構成される第2散乱角を大きく構成し,
 第1発光素子から発せられる第1波長に対し,第2発光素子から発せられる第2波長を短くし,前記第1発光素子による煙の散乱光量と,第2発光素子による煙の散乱光量とを比較することにより煙の種類を識別することを特徴とする散乱光式煙感知器。
 
 これも図が分かりやすいです。
 
 
  この図で,θ2>θ1であり,λ2<λ1というわけですね。

 こうすると「2つの発光素子につき受光素子に対する散乱角を異ならせることで煙の種類による散乱特性の相違を作り出し,同時に2つの発光素子から発する光の波長を異ならせることで波長に起因した散乱特性の相違を作り出し,この散乱角の相違と波長の相違の相乗効果によって煙の種類による散乱光の光強度に顕著な差を持たせることで煙の識別確度を高め,調理の湯気やタバコの煙による非火災報を防止し,更に火災による煙についても黒煙火災と白煙火災といった燃焼物の種類を確実に識別することができる。 」らしいです。

 他方,主引例である甲1発明との一致点・相違点です。
[一致点]
A)検煙空間に向け,第1波長を発する第1発光素子と,第1波長とは異なる第2波長を発する第2発光素子と, B)第1発光素子と第2発光素子から発せられる光を直接受光しない位置に設けられた受光素子とを備えた散乱光式煙感知器に於いて,
C)前記第1発光素子と受光素子の光軸の交差で構成される第1散乱角に対し,第2発光素子と受光素子の光軸の交差で構成される第2散乱角を大きく構成し,
D´)第1発光素子から発せられる第1波長に対し,第2発光素子から発せられる第2波長を異ならせ,
E)前記第1発光素子による煙の散乱光量と,第2発光素子による煙の散乱光量とを比較することにより煙の種類を識別する
F)散乱光式煙感知器。 
 
[相違点1]
  本件発明1は,第1発光素子から発せられる第1波長に対し,第2発光素子から発せられる第2波長を短くしているのに対し,引用発明の第1の照明と第2の照明とは,どちらの照明の波長が短いか特定されていない点。
  」
 
 これに対して,原告の方は,判旨のとおり, 上記E(前記第1発光素子による煙の散乱光量と,第2発光素子による煙の散乱光量とを比較することにより煙の種類を識別する )の一致点は間違いで,そんな記載は甲1にはないと主張したのですね。
 
  で,要するに技術常識からすると,甲1の記載自体ようわからん話であり,それをそのまま鵜呑みにした審決はうーん何でしょ?!というレベル,したがって,一致点としたEの記載を認めることはできないとしたわけです。
 
 ま,これはきちんと解析した原告,そしてそれをちゃんと判断した裁判所の方に軍配が上がりそうな事案です。
 進歩性で,一致点・相違点認定がおかしい,つまりは引用発明の認定が変だというのは,あまり無い話です。だけれども,それがあれば審決を取り消せる致命傷に出来ますので,代理人としてはある意味ラッキーだったでしょうね。