2016年10月3日月曜日

審決取消訴訟 特許 平成28(行ケ)10041 不服審判 拒絶審決

事件番号
事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成28年9月28日
裁判所名
 知的財産高等裁判所

「 (1) 本願明細書の発明の詳細な説明について
ア 粘度指数向上剤の入手について
 本願発明は,前記第2,2に記載のとおりの潤滑油基油と粘度指数向上剤を含有する潤滑油組成物であるところ,審決は,本願発明に係る上記粘度指数向上剤が,当業者が過度な試行錯誤を要することなく製造して入手することが困難であるとする。
 そこで,検討するに,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の粘度指数向上剤の化学構造や製造方法の記載はない(【0063】は,製造方法を特定する記載とはいい難い。)。また,【0104】に記載のM1/M2の値と【0078】【0107】の記載からみて,本願発明にいう粘度指数向上剤の実施例として特定できるものは,【0104】に記載されたA-1のみと認められるところ,A-1の具体的な化学構造や製造方法,製品名・商品名等についての記載はなく(【0104】),本願明細書には,式(1)(【0059】)と各種パラメーターが示されているだけである。そこで,本願明細書に接した当業者が,これら特定事項と技術常識から,本願発明にいう粘度指数向上剤を製造できるものであるか否かを,更に検討する。
イ M1/M2について
(ア) 本願出願当時の技術常識
① 【0056】には,M1がポリメタアクリレート側鎖のβ分岐構造に対応し,M2がポリメタアクリレート側鎖の直鎖構造に対応するとの記載がある。
 ここで,直鎖構造とは,直鎖状の炭化水素基,すなわち,炭素原子が一列に並んだ鎖状の炭化水素基を意味し,β分岐構造とは,(メタ)アクリレートのエステル基に結合する側からみて,β位(2番目)の炭素で枝分かれ(分岐)している分枝状の炭化水素基を意味するものである。
 ポリ(メタ)アクリレート系粘度指数向上剤は,潤滑油添加剤として汎用され(甲7参照),多数市販もされており(甲10,12参照),その単量体として炭素数1~24程度の様々な炭素数の直鎖又は分枝状の炭化水素基を側鎖に有する(メタ)アクリレートが使用されており(甲8,9,13,14参照),直鎖構造を有する単量体とβ 分岐構造を有する単量体とを共重合して製造され得ることも一般的に知られている(甲16,17参照)。
② 【0053】には,M1又はM2は,13C-NMR(核磁気共鳴分析)により得られるスペクトルにおける全ピークの合計面積に対する化学シフトの合計面積の割合とされている。
 ここで,13C-NMRとは,炭素の同位体であり,天然存在比1.1%の13Cが印加された高振動の磁場の中で起こす核磁気共鳴(NMR)が,隣接原子の種類や結合様式など13Cの置かれた化学的環境によって異なる振動数を起こすことを利用するものであり,観察された振動数のピークの,基準物質(テトラメチルシラン)に対する相対位置(化学シフト)などから,分子構造の分析を行うものである。
 このように,化学シフトの値と分子構造との間には一定の関係があるものの,ある分子構造が有する化学シフトの幅は相当に広いから,ある値の化学シフトから直ちに特定の分子構造が導けるわけではない。例えば,直鎖構造のアルキル基が有するメチレン基(―CH2―)の炭素の化学シフトは,15~55ppm,β分岐構造の分岐点の炭素がとる化学シフトは,25~55ppm,エーテルやアルコールの炭素(C-О)の化学シフトは,50~90ppm である(甲18,19参照)。
 したがって,化学シフトが特定されれば,直ちに,それに対応する原子配置が一義的に特定されるものではない。
(イ) M1,M2及びM1/M2【0056】には,M1について,「全ピークの合計面積に対する化学シフト36-38ppm の間のピークの合計面積(M1)は,13C-NMRにより測定される,全炭素の積分強度の合計に対するポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定のβ分岐構造に由来する積分強度の割合」との記載がある。この記載は,「化学シフト36-38ppm の間のピーク」に対応するものは「ポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定のβ分岐構造」を有する炭素原子であることをいうものである。ところで,「特定のβ分岐構造」の「特定の」の内容を更に特定する記載が本願明細書にあるとは認められないから,「特定の」は,「ある,その」との趣旨の修飾語にすぎず,本願明細書においては,「特定のβ分岐構造」とは,単に,β分岐構造と同義のことをいうものと理解される。
 また,【0056】には,M2について,「全ピークの合計面積に対する化学シフト64-66ppm の間のピークの合計面積(M2)は,13C-NMRにより測定される,全炭素の積分強度の合計に対するポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定の直鎖構造に由来する積分強度の割合」との記載がある。この記載も,上記同様に,「化学シフト64-66ppm の間のピーク」に対応するものは,「ポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定の直鎖構造」を有する炭素原子であることをいうものである。そして,上記同様に,「特定の直鎖構造」の「特定の」の内容を更に特定する記載が本願明細書にあるとは認められないから,本願明細書においては,「特定の直鎖構造」とは,直鎖構造と同義のことをいうものと理解される。
(ウ) 製造について
 以上からすると,①ポリ(メタ)アクリレート側鎖の具体的な分岐構造や直鎖構は,M1,M2又はM1/M2だけからでは特定できず,そして,②直鎖又は分枝状の炭化水素基を側鎖に有する(メタ)アクリレートを使用し,β分岐構造を有する単量体と直鎖構造を有する単量体とを共重合して製造することは技術常識であり,また,式(1)のR2の炭素数16以上の直鎖状又は分岐状の炭化水素基は,極めて多数存することが想定されるから,これらの特定から製造され得る粘度指数向上剤は,多数ある周知の粘度指数向上剤と特段変わるところはないといえる。そして,その多数の粘度指数向上剤の中から,M1,M2の狭い範囲のピークの面積の比を制御するために,具体的に,どの単量体をどの比率で用いればよいかについての手掛かりは,本願明細書には記載されていない。
ウ その他のパラメーター
 【0065】【0066】【0068】には,本願発明の粘度指数向上剤の好ましい重量平均分子量(MW),数平均分子量(Mn),重量平均分子量と数平均分子量の比(Mw/Mn)の範囲が記載されており,また,【0104】には,A-1の重量平均分子量(MW)が400,000と記載され,また,重量平均分子量と数平均分子量の比が2.2と記載されている。
 しかしながら,上記分子量となる粘度指数向上剤は,極めて多数存することが想定される。また,重量平均分子量と数平均分子量の比は,分子量の不均一性を示すものであり,直ちに,粘度指数向上剤の化学構造を示唆するものではない。そして,【0064】【0067】【0069】【0070】には,本願発明の粘度指数向上剤の好ましい永久せん断安定性指数(PSSI),重量平均分子量とPSSIの比,動粘度の増粘比(ΔKV40/ΔKV100),HTHS粘度の増粘比(ΔHTHS100/ΔHTHS150)の範囲が記載されおり,また,【0104】には,A-1につき,動粘度の増粘比(ΔKV40/ΔKV100)が2.2,HTHS粘度の増粘比(ΔHTHS100/ΔHTHS150)が1.51,永久せん断安定性指数(PSSI)が20と記載されている。
 しかしながら,本願明細書には,上記増粘比又は指数と粘度指数向上剤の化学構造に関しては何らの記載がなく,また,これら比や指数と粘度指数向上剤の化学構造との間に関する何らかの相関関係があるとする技術常識も認められない。
エ 小括
 以上のとおりであり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載や技術常識を考慮しても,本願発明の粘度指数向上剤の化学構造を知ることができない。結局,当業者は,本願発明の粘度指数向上剤を入手するために,本願明細書の記載に基づいて,一般式(1)の構造単位となる単量体0.1~70モル%と,その他の任意の(メタ)アクリレート単量体や任意のオレフィン等に由来する単量体を含み,かつ,側鎖にβ構造を有する単量体と直鎖構造を有する単量体との混合物を共重合して粘度指数向上剤を製造した後,その13C-NMRを測定し,M1/M2が0.2~3.0の範囲に含まれるか否か確認するという作業を,極めて多数の粘度指数向上剤について繰り返し行わなくてはならない。
 そうすると,当業者が,本願発明の粘度指数向上剤を製造して入手するには,過度の試行錯誤を要するといわざるを得ない。したがって,本願明細書は,当業者が実施できる程度の明確かつ十分に記載されたものとは認められない。」

【コメント】
 特許の拒絶審決に対する審決取消訴訟の事案です。結論は,審決とおり,実施可能要件違反で,NGというものです。

 クレームは以下のとおりです。

100℃における動粘度が1~20mm2/s であり,%CPが70以上であり,%CAが2以下であり,%CNが30以下である潤滑油基油と,
 13C-NMRにより得られるスペクトルにおいて,全ピークの合計面積に対する化学シフト36-38ppm の間のピークの合計面積M1と化学シフト64-66ppm の間のピークの合計面積M2の比M1/M2が0.20以上3.0以下であるポリ(メタ)アクリレート系粘度指数向上剤と,
 を含有し,40℃における動粘度が4~50mm2/s であり,100℃における動粘度が4~12mm2/s であり,100℃におけるHTHS粘度が5.0mPa・s以下であることを特徴とする潤滑油組成物。

 かなりのマニアックな化学系のクレームだということがわかります。

 ところが,審決では, 「① 本願発明に対応する,実施例における唯一の粘度指数向上剤は,本願明細書【0104】に記載された「A-1」であるが,A-1について,具体的な構造,又は,製造方法やモノマー成分など,構造をうかがい知るための記載がなく,複数のパラメーターについての数値が示されているだけである。
 そこで,各種パラメーターが,他の発明の詳細な説明の記載や技術常識に基づいて,具体的な化学構造を示すことに代わり得るものといえるかが問題となる。・・・⑤ 以上から,A-1は,当業者において入手することができない。
そうすると,本願明細書の発明の詳細な説明は,当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されたものではない。
」として,拒絶審決になったものです。

 確かに,これだけマニアックだと,明細書にかなり詳細な記載をしておきませんと,当業者は作れるようになりません。それ故,粘度指数向上剤として,このA-1の記載しかなく,そのA-1自体を作るのが難しいとなるとこの判決の判断にならざるを得ないでしょう。

 しかし,謎なのは,むしろどうしてこれを特許出願したかということです。

 この特許の出願人は大手の会社で,代理人も大手の事務所です。 そうすると,不備というかミスによって明細書の記載をしくじったわけではないということが容易に推測できます。

 つまり,ノウハウ的な余計な開示はしたくなかったのでしょう。それ故チャレンジ的に一か八か,この程度の開示で特許が取れれば儲け物ということで出願したのだと思います。

 ですが,拒絶となる程度の開示しか出来なかったのですから,これは潔くノウハウ化して特許出願しない方が良かったのではないかと思います。
 A-1を作るのさえ難しいのですから,本件の潤滑油組成物は特許が無くてもそうそう真似できるものではないと思いますし。
 
 今からでも別段遅くはないのですが,特許出願費用が若干無駄になりましたね。