2017年8月23日水曜日

審決取消訴訟 特許 平成29(行ケ)10006等  無効審判 無効審決 請求認容

事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成29年8月22日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第4部 
裁判長裁判官          髙      部      眞  規  子 
裁判官          山      門              優 
裁判官          片      瀬              亮  

「 ⑴  特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
  原告は,本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち,「急激な降下」,「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載が不明確であると主張するから,以下検討する。
  ⑵  「急激な降下」,「急激な降下部分の外挿線」との記載
ア  請求項1及び2の記載のうち「急激な降下」部分とは,動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,左から右に向かって降下の傾きの最も大きい部分を意味することは明らかである(【図2】)。また,傾きの最も大きい部分の傾きの程度は一義的に定まるから,「急激な降下部分の外挿線」の引き方も明確に定まるものである。
イ  これに対し,原告は,動的貯蔵弾性率の傾きが具体的にどのような値以上になったときに「急激な降下」と判断すればよいか分からない旨主張する。しかし,「急激な降下」とは,相対的に定まるものであって,傾きの程度の絶対値をもって特定されるものではないから,同主張は失当である。
⑶  「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との記載
ア  ASTM規格(乙31)は,世界最大規模の標準化団体である米国試験材料協会が策定・発行する規格であるところ,ASTM規格においては,温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから,ポリマーのガラス転移温度を算出するに当たり,ほぼ直線的に変化する部分を特段定義しないまま,同部分の外挿線を引いている。
 また,JIS規格(乙13)は,温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから,プラスチックのガラス転移温度を算出するに当たり,「狭い温度領域では直線とみなせる場合もある」「ベースライン」を延長した直線を,外挿線としている。
 そうすると,ポリマーやプラスチックのガラス転移温度の算出に当たり,温度上昇に伴って変化する物性値のグラフから,特定の温度範囲における傾きの変化の条件を規定せずに,ほぼ直線的な変化を示す部分を把握することは,技術常識であったというべきである。
 そして,ポリマー,プラスチック及びゴムは,いずれも高分子に関連するものであるから,ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は,その主成分である高分子に関する上記技術常識を当然有している。
 したがって,ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は,上記技術常識をもとに,昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,特定の温度範囲における傾きの変化の条件が規定されていなくても,「ほぼ直線的な変化を示す部分」を把握した上で,同部分の外挿線を引くことができる。
イ  これに対し,原告は,ASTM規格におけるガラス転移温度の測定方法における「ベースライン」と,本件発明1における「ほぼ直線的な変化を示す部分」とが関連することを,当業者は理解できないなどと主張する。
 しかし,ゴム組成物の耐熱性に関する技術分野における当業者は,その主成分である高分子についての技術常識を当然有しているというべきであるから,ASTM規格やJIS規格における技術常識をもとに,「ほぼ直線的な変化を示す部分」という請求項の記載の意味内容を理解できるものである。
ウ  また,原告は,本件発明1及び2においては2℃のずれが問題となっているから,ASTM規格は参考にできるものではなく,本件発明1及び2に関連するゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおいて,外挿線A及び外挿線Bは,その引き方によっては交点温度に5.8℃の差や3℃の差が生じる旨主張する。
 しかし,後記5⑵のとおり,本件特許の原出願の優先日当時,ランフラットタイヤのサイド部の補強用ゴム組成物の温度範囲は,せいぜい150℃以下の温度範囲で着目されていたにすぎなかったところ,本件発明6は,サイド部の補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したものである。本件発明7も,ビード部の補強用ゴム組成物の同様の数値範囲に着目したものであ
る。そして,本件発明1及び2は,かかる技術的思想を,外挿線Aと外挿線Bの交点の温度が170℃以上であるゴム組成物として特定したものである。
 そして,本件発明1及び2と同種であるゴム組成物の動的貯蔵弾性率の温度による変化を計測したグラフにおける外挿線A及び外挿線Bの交点温度は,その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる(甲6の実施例6のゴム組成物に関する甲217,図2,3。なお,図4の接線3は,「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線ということはできない。また,引用例1の実施例4及び15のゴム組成物に関する甲1の1の外挿線Aも,動的貯蔵弾性率の最大値温度から10℃ないし30℃低い温度における動的貯蔵弾性率の部分の接線であり,「ほぼ直線的な変化を示す部分」の外挿線Aではない。)。
 このように,外挿線Aと外挿線Bの交点温度として特定された170℃という温度は,補強用ゴム組成物の180℃から200℃までの動的貯蔵弾性率の変動に着目したことから導かれたものであって,かかる交点温度は,その引き方によっても1℃の差が生ずるにとどまる。そうすると,外挿線Aと外挿線Bの交点温度によって,ゴム組成物の構成を特定するという特許請求の範囲の記載は,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確なものとはいえない。
⑷  小括
 したがって,本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載のうち,「急激な降下」,「急激な降下部分の外挿線」及び「ほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線」との各記載は明確であって,本件特許の特許請求の範囲請求項1及び2の記載が明確性要件に違反するということはできない。請求項3及び4の各記載も同様であるから,明確性要件に違反するということはできない。 」

【コメント】
 タイヤの発明についての無効審判,そして,無効審決が逆転で取り消された事例です。
 原告も被告も大手企業ということで,ガチンコの戦いです。

 論点は様々あり,進歩性や実施可能要件などもあるのですが,本件で逆転のポイントとなったのは,明確性要件ですので,ここをコメントします。

 まずは,クレームです。
【請求項1】ゴム補強層によって補強されたサイドウォール部を有し,/該ゴム補強層が,昇温条件で測定したときの動的貯蔵弾性率の温度による変化を示す図において,100℃以上に存在する動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線Aと急激な降下部分の外挿線Bとの交点の温度が170℃以上であり,天然ゴムを含むゴム組成物を含むランフラットタイヤ。 
 
 で,どういうことかというと,タイヤというのは有機物質ですので,温度をかけるとグニャグニャに柔らかくなるわけです。
 まあ勿論,柔らかくないとタイヤの意味はありませんが,度を越しての柔らかくなる加減が問題となるわけです。
 
 それを表すのが動的貯蔵弾性率です。
 
 
 
  この図2は明細書の図で,これを見るとわかりますが,160度を越えた辺りから急速に低減しております。
 そして,220度辺りでサチっております(サチるの表現で分かる人には分かりますね。)。
 
 他方,図3は,外挿直線を引くために,図2の120度から200度辺りを引き伸ばしたものです(これも明細書の図。)。
 
 そもそも何故こんなことをするかというと,ステップ関数的に変化しているわけではない,からです。上記のとおり,160度から220度の間で変化点があるのですが,幅がありますので,どうするかな~?って所を考えないといけないわけです。

 で,こういう場合,工学的なやり方としては,理論的にちゃんとした裏付けはないのだけども,グラフの外挿直線などを導入し,目安を作り出すということをやります。これは別に化学の分野に限らず,様々な分野でやられることです。
 勿論,勝手にやる場合には,細かく基準というか定義というかを設けて,その通りにやらなければならず,その場合には明細書にも細かい記述が必要になります。
 
 しかし,慣用的によくやられている場合にはそこまでの記述は必要ないというのは明白ですね。
 
 本件では,審決の段階では, 「 「動的貯蔵弾性率の急激な降下前に存在する動的貯蔵弾性率がほぼ直線的な変化を示す部分の外挿線A」,「(動的貯蔵弾性率の)急激な降下部分の外挿線B」が,それぞれ明確ではないから,本件発明1ないし4の特許請求の範囲の記載は,明確性要件を満たさないと判断した。 」のですね。
 
 しかし,知財高裁第4部の高部部長の合議体は,明確性要件の趣旨は,第三者の利益を害さないようにすることにあり,そうすると,第三者の利益を害さない程度の記載については明確性要件違反とならないとしたわけです。
 
 で,本件では,外挿線Bについては,問題なく, OKとしました。微分可能な曲線ならば,最も傾きの大きい所は見つけることが出来ますからね(平均値の定理というやつでしょうか。)。
 
 他方,外挿線Aについては多少厄介ですが,様々な規格等で一定のやり方は技術常識として存在したようです。また,実質的にも不都合は無かったと認定されております。
 したがって,このような結論に至ったわけです。
 
 審決は多少請求人の言い分に引きづられたようなところがあったかもしれません。 

 本件では,知財高裁による明確性要件の規範が示されましたので,一定の先例性を認めてよいのではないかと思います。