2016年10月19日水曜日

審決取消訴訟 特許 平成27(行ケ)10251  無効審判 不成立審決 請求棄却

事件番号
事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成28年10月12日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第2部
裁判長裁判官 清水 節
裁判官 中村 恭
裁判官 森岡礼子

「(2) 本件発明1と甲1発明の相違点の容易想到性について
ア 本件発明1と甲1発明の相違点について
 本件発明1と甲1発明とを対比すると,審決が認定したとおり,前記第2の4(1)イの【一致点】記載の点で一致し,同【相違点】(1-ⅰ)及び(1-ⅱ)記載の点で相違する。
 すなわち,本件発明1と甲1発明とは,ステロイド環構造の20位炭素原子に水酸基(-OH)が結合した化合物(以下「20位アルコール」という。)に脱離基を有する側鎖形成試薬を反応させてエーテル結合を形成させる反応(ウィリアムソン反応)である点で一致するが,脱離基を有する側鎖形成試薬における脱離基以外の構造(相違点1-ii)及び反応により得られる化合物の側鎖部分構造(相違点1-i)が,本件発明1は「2,3-エポキシ-3-メチル-ブチル基」であるのに対し,甲1発明は「-CH2-CH2-CH=CH2」である点で相違する(下図参照)。
 
 
イ 動機付けについて
(ア) 原告は,甲1発明に甲2の試薬を組み合わせることにより,本件発明1に係る構成を容易に想到することができる旨を主張しているところ,甲1発明の試薬は,本件発明1の試薬である甲2の試薬とは異なるから,甲1発明から本件発明1に想到するには,甲2の試薬を甲1発明の試薬に代えて使用する動機付けが必要となる。
 そこで,以下検討する。
・・・前記によれば,甲4には,本件優先日当時,OCTの製造方法において,当初用いられていた甲1発明を第一工程とするOCTの製造方法には,アルコール(8)の水酸基の立体障害に起因する反応性の低さから,アルコール(8)のアルキル化の際に副生成物(9)を生成するという欠点があったため,アルコール(8)のアルキル化反応を数十系統の反応で検討した結果,Michael付加反応-メチル化反応を経由する改良法が開発されたものの,そのメチル化反応においても大量合成に不利な点があることから,更なる改良が検討されていたのであって,OCTの製造方法における第一工程である甲1発明において,効率的な反応経路を探索するという課題があったことが記載されていると認められる。
・・・(ウ)a(a) 前記認定事実((イ)a)及び弁論の全趣旨によれば,甲1に記載されたOCTの製造方法については,出発物質,試薬,反応過程につき,他のより効率的な製造方法を探索するという課題があったことが認められ,甲1発明は,OCTの製造方法における第一工程であるから,OCTの製造方法の一工程である甲1発明においても,他のより効率的な反応経路を探索するという課題があったことが認められる。
 しかしながら,前記(イ)aのとおり,甲4には,甲1発明の出発物質であるアルコール(8)のアルキル化反応を数十系統の反応で検討した結果,Michael付加反応-メチル化反応を経由する改良法が開発されたものの,大量合成に不利な点があるから,更なる改良が検討されていることが記載されているのであって,アルコール(8)のアルキル化反応が数十系統検討されたが,大量合成に有利な反応経路は開発できなかったことが記載されているといえる。
 また,甲1の記載中には,甲1発明の出発物質は替えずに,試薬のみを替えることを示唆する記載や,甲2の試薬についての記載はないから,甲1発明において試薬のみを甲2の試薬に替えることは全く示唆されていない。
(b) 甲1には,甲1発明の出発物質に,甲2のようなエポキシ基を有する試薬をエポキシ基を保持したまま反応させて合成されるエポキシ中間体を合成し,これを経てOCTを製造する方法についても,記載がない。
 甲4及び14には,前記(イ)c及びdのとおり,エポキシエーテル化合物を合成した上,エポキシ基の開環により,水酸基を得ることが記載されているが,いずれも,側鎖に二重結合を有する化合物を合成した上,これを酸化してエポキシ基とし,当該エポキシ基を開環して水酸基を形成する一連の化合物の製造方法の一工程であり,エポキシ基を有する試薬を出発物質と反応させ,当該エポキシ基の開環により水酸基を得るという一連の化合物の製造方法の一工程として記載されているわけではない。そして,甲4及び甲14には,甲1の本件エポキシエーテル化合物を得る工程を経るOCTの製造方法は記載されておらず,二重結合を有する化合物を合成した上,これを酸化してエポキシ基とするという各工程とは関係なく,エポキシ基を開環して水酸基を形成する工程のみを取り出して,そのエポキシ基を有する試薬をエポキシ基を保持したまま他の化合物と反応させた後,その次の工程として適用することを前提に,エポキシ基を有する試薬を,エポキシ基を保持したまま他の化合物と反応させることにつき,記載も示唆もない。
 そうすると,エポキシ基の開環反応によってアルコールを合成する方法が技術常識であること(甲9)を考慮しても,甲1発明につき,前記課題を解決するための手段として,エポキシ中間体を経由する反応経路を探索する動機付けはなく,エポキシ基を有する甲2の試薬を特に適用する動機付けもない。
b 次に,前記(イ)bのとおり,甲2には,メタノール,エタノール,プロピルアルコール,イソプロピルアルコール,ブタノール等のアルコール類を,エポキシ基を有する甲2の試薬と反応させてエポキシエーテル化合物を製造する方法が記載されているものの,ビタミンD構造又はステロイド環構造若しくはそれらと類似の構造を有するアルコール類を用いることについては,記載も示唆もない。
 また,前記(イ)bのとおり,甲2には,ブタノールと甲2記載の試薬とを反応させて得られる4-ブトキシ-2-メチル-2,3-エポキシブタンを,還元してエポキシ基を開環し,4-ブトキシ-2-メチル-2-ブタノールを製造する方法が記載されているが,4-ブトキシ-2-メチル-ブタノールの部分構造がOCT側鎖と共通するとしても,甲2には,OCTの製造方法について記載も示唆もないのであって,上記記載から直ちに,OCTの製造方法における第一工程である甲1発明において,甲2の試薬を適用することが示唆されるわけではない。
 そうすると,甲1発明において,甲1発明の出発物質と反応する試薬として,1-ブロモ-3-ブテンに替えて,甲2の試薬を適用する動機付けがあるとはいえない。・・・

ウ 構成の容易想到性について
 前記(1)イのとおり,甲1発明は,OCTを製造する方法における工程の第一工程であり,前記イ(イ)aのとおり,甲1発明を第一工程とするOCTの製造方法には,効率的な反応経路を探索するという課題があったところ,OCTの製造方法の工程における中間物質としてどのような化合物を選択するかと,当該化合物を得る反応として,どのような化合物を反応させるかは,当該化合物を得るための反応が想到できなければ,当該化合物を経てOCTを製造すること自体を断念せざるを得ないという意味で関連している。したがって,何段階もの工程を含む一連の工程の一部の反応に係る発明の容易想到性を判断するに当たっては,その中間物質の選択の容易想到性と当該中間物質を得るための反応の容易想到性を,これらの工程を含む一連の工程全体を設計するという見地から,検討すべきであり,当業者が,エポキシ基の開環という基本的知識を有しており,OCTの前駆物質として,エポキシ基を有する中間物質を想到し得たとしても,エポキシ基を開環させる工程とエポキシ基を有する中間物質を合成する工程を全く無関係なものとして,各別にその容易想到性を検討することは相当でない。
 前記イ(ウ)a(b)のとおり,甲1には,甲1発明の出発物質に,甲2のようなエポキシ基を有する試薬をエポキシ基を保持したまま反応させて合成されるエポキシ中間体を合成し,これを経てOCTを製造する方法について,記載がなく,甲4及び14には,エポキシ基を有する試薬を他の化学物質と合成し,当該エポキシ基の開環により水酸基を得るという一連のOCTの製造方法が記載されているわけではないのであって,エポキシ基を開環して水酸基を形成する工程のみを取り出して,エポキシ基を有する試薬をエポキシ基を保持したまま他の化合物と反応させた後,その次の工程として適用することを前提に,エポキシ基を有する試薬を,エポキシ基を保持したまま他の化合物と反応させることにつき,記載も示唆もない。エポキシ基の開環反応によってアルコールを合成する方法が技術常識であることを考慮しても,甲1発明につき,エポキシ中間体を経由する反応経路を探索する動機付けはない。当業者が,エポキシ基を開環するという基本的知識を有していたとしても,OCTのより効率的な製造方法としての一連の工程として,エポキシ基を有する試薬をエポキシ基を保持させたまま甲1発明の出発物質と反応させて,エポキシ中間体を経由する反応経路を探索することが容易に想到できたということはできない。
 したがって,エポキシ基が開裂する付加反応が生じる可能性についての当業者の認識を検討するまでもなく,前記イのとおりであって,本件発明1の容易想到性は,認められない。」
 なお,OCTとは,「最終目的物である1α,25-ジヒドロキシ-22-オキサビタミンD3(マキサカルシトール。以下「OCT」という。) 」のことです。

【コメント】
 この事件で問題となった特許は, 名称を「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法」とする発明で特許第3310301号です。

 何かというと,知財高裁の大合議で,シスとトランスの違いは,均等だと判示したマキサカルシトール事件と同じ特許です。
 
 それについて,実施者側から無効審判が請求され,それが不成立審決で終わったため,今度は審決取消訴訟となったものです。

 クレームは以下のとおりです。
【請求項1】(本件発明1)
下記構造を有する化合物の製造方法であって:

(式中,nは1であり;R1及びR2はメチルであり;W及びXは各々独立に水素又はメチルであり;YはOであり;そしてZは,式
のステロイド環構造,又は式

のビタミンD構造であり,Zの構造の各々は,1以上の保護又は未保護の置換基及び/又は1以上の保護基を所望により有していてもよく,Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)
(a)下記構造:

(式中,W,X,Y及びZは上記定義のとおりである)
を有する化合物を塩基の存在下で下記構造:

又は

(式中,n,R1及びR2は上記定義のとおりであり,そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて化合物を製造すること;並びに
(b)かくして製造された化合物を回収すること,
を含む方法。


 ちなみに,侵害訴訟で問題になったのは,上から3番めの構造,
 
でした。
 
 さて,本件での一致点・相違点は以下のとおりですが,冗長なので,相違点だけ。
【相違点】
(1-i)「

」の「A」に対応する部分構造が,
本件発明1では,「下記構造:

(式中,nは1であり;R1及びR2はメチルである)」であるのに対して,
甲1発明では,「-CH2-CH2-CH=CH2」である点

(1-ⅱ)「E-B」の「B」に対応する部分構造が,本件発明1では,
「下記構造:
又は

(式中,nは1であり;R1及びR2はメチル,Eは脱離基である)」(以下,上に示した化学構造を「2,3-エポキシ-3―メチル-ブチル基」という。)であるのに対して,甲1発明では,「-CH2-CH2-CH=CH2」である点

 ほんで,重要なのは,「相違点(1―ⅱ)における「E-B」の「B」構造を,「-CH2-CH2-CH=CH2」から,「2,3-エポキシ-3―メチル-ブチル基」にすることによって,相違点(1-i)における「A」も,必然的に,「-CH2-CH2-CH=CH2」から,「2,3-エポキシ-3―メチル-ブチル基」になる。
 そうすると,甲1発明において,相違点(1―ⅱ)の構成が満たされることで,必然的に,相違点(1-ⅰ)の構成も満たされることになる。
」ということです。

 これについては,審決は動機づけなしとしたわけです。
 そして,判決も基本,それでよしとしたわけです。
  で,判決の理解は,上記の判示中も引用しましたが,図がわかりやすいと思えます。つまりエーテル結合の側鎖を形成する反応に使う側鎖形成試薬が異なるわけです。 

 この違いについて,判決も,側鎖形成試薬を副引例のものに変え,主引例について,本件発明のとおりにする示唆等がなく,動機づけできないとしたのです。

 これは,技術分野が化学ということも大きいとは思います。原告としては,似たようなこれもあるあれもあると主張していますが,そうそう当業者が知っていたとか予測できたとは言えないとして,退けられています。

 ですので,この結論については致し方ない所です。それ故,実施者としては,もっと似ている引用発明を探すか,今現在上告受理申立てにかかっている侵害訴訟の事件について祈るか,どちらかではないでしょうか。
 
 
 
 

2016年10月14日金曜日

審決取消訴訟 商標 平成28(行ケ)10083  無効審判 不成立審決 請求認容

事件番号
事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成28年10月11日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官 鶴岡稔彦
裁判官 杉浦正樹
裁判官 寺田利彦
 
「1 取消事由1(手続上の瑕疵)について
(1) 前記認定(第2,3,(2))のとおり,特許庁は,本件審判手続において本件職権証拠調べを行ったものであるところ,証拠(甲78,79)によれば,特許庁は,原告に対し,平成27年11月16日に書面審理通知書(起案日は同月12日)を発送した上で,同月17日,審理終結通知書(起案日は同月12日)を発送したことが認められるものの,本件職権証拠調べの結果を原告に対して通知し,相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えたことをうかがわせる証拠は全くなく,これらの手続は行われなかったことが推認される。
(2)ア 法56条が準用する特許法150条は,「審判に関しては,…職権で,証拠調べをすることができる。」(1項)とする一方で,「審判長は,…職権で証拠調べ…をしたときは,その結果を当事者…に通知し,相当の期間を指定して,意見を申し立てる機会を与えなければならない。」(5項)と定める。ところが,本件審判手続において,特許庁は,上記(1)のとおり,原告に対し,本件職権証拠調べの結果につき通知し,相当の期間を指定して意見を申し立てる機会を与えなかったのであり,この点で本件審判手続には上記規定に違反するという瑕疵があったものというべきである。
イ また,本件職権証拠調べは,具体的にはインターネットにより「スポーツクラブ」及び「マスターズ」の語を複合キーワード検索することで「スポーツクラブ」における「マスターズ」の語の使用例を調査したものであるが,本件審決は,本件商標の法4条1項15号該当性を論ずる中で,本件商標の称呼及び観念につき判断するに当たり,本件商標のように「スポーツクラブ」の文字と「マスターズ」の文字が結合した場合の「マスターズ」の文字部分が持つ出所識別機能の程度を評価する根拠の一つとして,このような本件職権証拠調べの結果である5件のスポーツクラブのホームページに存在する記載を利用している。
 さらに,法4条1項19号及び同7号該当性の判断に当たっても,本件審決は,本件職権証拠調べの結果を利用して,本件商標中の「マスターズ」の文字部分が持つ出所識別機能の程度につき検討している。
ウ そうすると,本件審判手続には瑕疵があり,その瑕疵は,審判の結果である審決の結論に一般的に見て影響を及ぼすものであったものというべきである。このような場合,その瑕疵は,審決の結論に影響を及ぼさないことが明らかであると認められる特別の事情,すなわち,たとえ職権証拠調べの結果の通知がなくとも,これに対する反論,反証の機会が実質的に与えられていたものと評価し得るか,又は当事者に対する不意打ちとならないと認められる事情がない限り,審決取消事由となるものと解される(最高裁判所第一小法廷昭和51年5月6日判決・判例時報819号35頁,最高裁判所第三小法廷平成14年9月17日判決・判例時報1801号108頁参照)。
 そこで,本件における上記特段の事情の有無を検討すると,本件職権証拠調べは,上記のとおり具体的にはインターネットによる「スポーツクラブ」及び「マスターズ」の語の複合キーワード検索であり,その手法それ自体は必ずしも目新しいものではなく,一般的かつ容易に行われ得るものではある。しかし,原告において,そのような証拠調べが行われることを当然に予期していたとか,予期すべきであったと認めるに足りる証拠はない上,そもそも,本件審判事件においては,被告は原告の主張に対し何ら答弁せず(前記第2の2),また,その審理は職権により書面審理とされていた(前記(1))のであるから,本件職権証拠調べの事実を知らない原告にとっては,何らかの追加主張ないし立証が必要であること自体,全く予期し得なかったと考えられるのである。また,本件職権証拠調べの結果それ自体も,本件審決の引用するホームページ上の記載の存在そのものはともかく,これを受けた反証活動や本件証拠調べの結果の評価に関する反論の余地がないとはいい難い。
 そうである以上,本件においては本件職権証拠調べの結果に対する反論,反証の機会が原告に対し実質的に与えられていたものとは評価し得ず,また,原告に対する不意打ちとならないと認めるべき事情も見当たらない。すなわち,上記特段の事情の存在は認められない。
 したがって,本件職権証拠調べの結果の原告に対する通知等を欠くという手続上の瑕疵は,本件審決の取消事由となるものというべきである。
(3) 以上より,本件審判手続は法56条の準用する特許法150条5項所定の手続を欠く違法なものであり,その結果としてされた本件審決については,これを取り消すのが相当である。」
 
【コメント】
 商標の無効審判の不成立審決に対する審決取消訴訟の事案ですが,非常に珍しい事例です。
 
 何と,審判段階で,職権証拠調をしていたのにも関わらず,その結果を通知することもなく,当然その後意見を申し立てる機会を与えてもいないというものです。
 明確な法令違反です。

 商標法56条の引用する特許法150条5項は以下のとおりです。
 
 審判長は、第一項又は第二項の規定により職権で証拠調又は証拠保全をしたときは、その結果を当事者及び参加人に通知し、相当の期間を指定して、意見を申し立てる機会を与えなければならない。
 
 法曹の方々からすると,ある意味考えられないのですが,特許庁の審判では職権証拠調が認められています。つまり,勝手に公知技術やそれに類するもの,さらには本件における商標の出所識別性なども調査してよいのです。

 これは,特許や商標が,審査を経て設定登録し,体世的効力を持つということに由来しているのでしょう。

 とは言え,勝手に良い証拠を見つけるのは良いとしても,それによって不利となる方に何らかの告知と聴聞の機会を与えないとデュープロセス違反と言えます。
 それを規定しているのが,上記特許法150条5項というわけです。
 
 ですので,これに違反した手続である以上は,取り消しとなるのは止むを得ないでしょう。
 
 なお,判旨で引用されている判決ですが,H14のものは,Mマーク事件であり,S51のものは特許の事件です。

2016年10月3日月曜日

審決取消訴訟 特許 平成28(行ケ)10041 不服審判 拒絶審決

事件番号
事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成28年9月28日
裁判所名
 知的財産高等裁判所

「 (1) 本願明細書の発明の詳細な説明について
ア 粘度指数向上剤の入手について
 本願発明は,前記第2,2に記載のとおりの潤滑油基油と粘度指数向上剤を含有する潤滑油組成物であるところ,審決は,本願発明に係る上記粘度指数向上剤が,当業者が過度な試行錯誤を要することなく製造して入手することが困難であるとする。
 そこで,検討するに,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願発明の粘度指数向上剤の化学構造や製造方法の記載はない(【0063】は,製造方法を特定する記載とはいい難い。)。また,【0104】に記載のM1/M2の値と【0078】【0107】の記載からみて,本願発明にいう粘度指数向上剤の実施例として特定できるものは,【0104】に記載されたA-1のみと認められるところ,A-1の具体的な化学構造や製造方法,製品名・商品名等についての記載はなく(【0104】),本願明細書には,式(1)(【0059】)と各種パラメーターが示されているだけである。そこで,本願明細書に接した当業者が,これら特定事項と技術常識から,本願発明にいう粘度指数向上剤を製造できるものであるか否かを,更に検討する。
イ M1/M2について
(ア) 本願出願当時の技術常識
① 【0056】には,M1がポリメタアクリレート側鎖のβ分岐構造に対応し,M2がポリメタアクリレート側鎖の直鎖構造に対応するとの記載がある。
 ここで,直鎖構造とは,直鎖状の炭化水素基,すなわち,炭素原子が一列に並んだ鎖状の炭化水素基を意味し,β分岐構造とは,(メタ)アクリレートのエステル基に結合する側からみて,β位(2番目)の炭素で枝分かれ(分岐)している分枝状の炭化水素基を意味するものである。
 ポリ(メタ)アクリレート系粘度指数向上剤は,潤滑油添加剤として汎用され(甲7参照),多数市販もされており(甲10,12参照),その単量体として炭素数1~24程度の様々な炭素数の直鎖又は分枝状の炭化水素基を側鎖に有する(メタ)アクリレートが使用されており(甲8,9,13,14参照),直鎖構造を有する単量体とβ 分岐構造を有する単量体とを共重合して製造され得ることも一般的に知られている(甲16,17参照)。
② 【0053】には,M1又はM2は,13C-NMR(核磁気共鳴分析)により得られるスペクトルにおける全ピークの合計面積に対する化学シフトの合計面積の割合とされている。
 ここで,13C-NMRとは,炭素の同位体であり,天然存在比1.1%の13Cが印加された高振動の磁場の中で起こす核磁気共鳴(NMR)が,隣接原子の種類や結合様式など13Cの置かれた化学的環境によって異なる振動数を起こすことを利用するものであり,観察された振動数のピークの,基準物質(テトラメチルシラン)に対する相対位置(化学シフト)などから,分子構造の分析を行うものである。
 このように,化学シフトの値と分子構造との間には一定の関係があるものの,ある分子構造が有する化学シフトの幅は相当に広いから,ある値の化学シフトから直ちに特定の分子構造が導けるわけではない。例えば,直鎖構造のアルキル基が有するメチレン基(―CH2―)の炭素の化学シフトは,15~55ppm,β分岐構造の分岐点の炭素がとる化学シフトは,25~55ppm,エーテルやアルコールの炭素(C-О)の化学シフトは,50~90ppm である(甲18,19参照)。
 したがって,化学シフトが特定されれば,直ちに,それに対応する原子配置が一義的に特定されるものではない。
(イ) M1,M2及びM1/M2【0056】には,M1について,「全ピークの合計面積に対する化学シフト36-38ppm の間のピークの合計面積(M1)は,13C-NMRにより測定される,全炭素の積分強度の合計に対するポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定のβ分岐構造に由来する積分強度の割合」との記載がある。この記載は,「化学シフト36-38ppm の間のピーク」に対応するものは「ポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定のβ分岐構造」を有する炭素原子であることをいうものである。ところで,「特定のβ分岐構造」の「特定の」の内容を更に特定する記載が本願明細書にあるとは認められないから,「特定の」は,「ある,その」との趣旨の修飾語にすぎず,本願明細書においては,「特定のβ分岐構造」とは,単に,β分岐構造と同義のことをいうものと理解される。
 また,【0056】には,M2について,「全ピークの合計面積に対する化学シフト64-66ppm の間のピークの合計面積(M2)は,13C-NMRにより測定される,全炭素の積分強度の合計に対するポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定の直鎖構造に由来する積分強度の割合」との記載がある。この記載も,上記同様に,「化学シフト64-66ppm の間のピーク」に対応するものは,「ポリ(メタ)アクリレート側鎖の特定の直鎖構造」を有する炭素原子であることをいうものである。そして,上記同様に,「特定の直鎖構造」の「特定の」の内容を更に特定する記載が本願明細書にあるとは認められないから,本願明細書においては,「特定の直鎖構造」とは,直鎖構造と同義のことをいうものと理解される。
(ウ) 製造について
 以上からすると,①ポリ(メタ)アクリレート側鎖の具体的な分岐構造や直鎖構は,M1,M2又はM1/M2だけからでは特定できず,そして,②直鎖又は分枝状の炭化水素基を側鎖に有する(メタ)アクリレートを使用し,β分岐構造を有する単量体と直鎖構造を有する単量体とを共重合して製造することは技術常識であり,また,式(1)のR2の炭素数16以上の直鎖状又は分岐状の炭化水素基は,極めて多数存することが想定されるから,これらの特定から製造され得る粘度指数向上剤は,多数ある周知の粘度指数向上剤と特段変わるところはないといえる。そして,その多数の粘度指数向上剤の中から,M1,M2の狭い範囲のピークの面積の比を制御するために,具体的に,どの単量体をどの比率で用いればよいかについての手掛かりは,本願明細書には記載されていない。
ウ その他のパラメーター
 【0065】【0066】【0068】には,本願発明の粘度指数向上剤の好ましい重量平均分子量(MW),数平均分子量(Mn),重量平均分子量と数平均分子量の比(Mw/Mn)の範囲が記載されており,また,【0104】には,A-1の重量平均分子量(MW)が400,000と記載され,また,重量平均分子量と数平均分子量の比が2.2と記載されている。
 しかしながら,上記分子量となる粘度指数向上剤は,極めて多数存することが想定される。また,重量平均分子量と数平均分子量の比は,分子量の不均一性を示すものであり,直ちに,粘度指数向上剤の化学構造を示唆するものではない。そして,【0064】【0067】【0069】【0070】には,本願発明の粘度指数向上剤の好ましい永久せん断安定性指数(PSSI),重量平均分子量とPSSIの比,動粘度の増粘比(ΔKV40/ΔKV100),HTHS粘度の増粘比(ΔHTHS100/ΔHTHS150)の範囲が記載されおり,また,【0104】には,A-1につき,動粘度の増粘比(ΔKV40/ΔKV100)が2.2,HTHS粘度の増粘比(ΔHTHS100/ΔHTHS150)が1.51,永久せん断安定性指数(PSSI)が20と記載されている。
 しかしながら,本願明細書には,上記増粘比又は指数と粘度指数向上剤の化学構造に関しては何らの記載がなく,また,これら比や指数と粘度指数向上剤の化学構造との間に関する何らかの相関関係があるとする技術常識も認められない。
エ 小括
 以上のとおりであり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載や技術常識を考慮しても,本願発明の粘度指数向上剤の化学構造を知ることができない。結局,当業者は,本願発明の粘度指数向上剤を入手するために,本願明細書の記載に基づいて,一般式(1)の構造単位となる単量体0.1~70モル%と,その他の任意の(メタ)アクリレート単量体や任意のオレフィン等に由来する単量体を含み,かつ,側鎖にβ構造を有する単量体と直鎖構造を有する単量体との混合物を共重合して粘度指数向上剤を製造した後,その13C-NMRを測定し,M1/M2が0.2~3.0の範囲に含まれるか否か確認するという作業を,極めて多数の粘度指数向上剤について繰り返し行わなくてはならない。
 そうすると,当業者が,本願発明の粘度指数向上剤を製造して入手するには,過度の試行錯誤を要するといわざるを得ない。したがって,本願明細書は,当業者が実施できる程度の明確かつ十分に記載されたものとは認められない。」

【コメント】
 特許の拒絶審決に対する審決取消訴訟の事案です。結論は,審決とおり,実施可能要件違反で,NGというものです。

 クレームは以下のとおりです。

100℃における動粘度が1~20mm2/s であり,%CPが70以上であり,%CAが2以下であり,%CNが30以下である潤滑油基油と,
 13C-NMRにより得られるスペクトルにおいて,全ピークの合計面積に対する化学シフト36-38ppm の間のピークの合計面積M1と化学シフト64-66ppm の間のピークの合計面積M2の比M1/M2が0.20以上3.0以下であるポリ(メタ)アクリレート系粘度指数向上剤と,
 を含有し,40℃における動粘度が4~50mm2/s であり,100℃における動粘度が4~12mm2/s であり,100℃におけるHTHS粘度が5.0mPa・s以下であることを特徴とする潤滑油組成物。

 かなりのマニアックな化学系のクレームだということがわかります。

 ところが,審決では, 「① 本願発明に対応する,実施例における唯一の粘度指数向上剤は,本願明細書【0104】に記載された「A-1」であるが,A-1について,具体的な構造,又は,製造方法やモノマー成分など,構造をうかがい知るための記載がなく,複数のパラメーターについての数値が示されているだけである。
 そこで,各種パラメーターが,他の発明の詳細な説明の記載や技術常識に基づいて,具体的な化学構造を示すことに代わり得るものといえるかが問題となる。・・・⑤ 以上から,A-1は,当業者において入手することができない。
そうすると,本願明細書の発明の詳細な説明は,当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されたものではない。
」として,拒絶審決になったものです。

 確かに,これだけマニアックだと,明細書にかなり詳細な記載をしておきませんと,当業者は作れるようになりません。それ故,粘度指数向上剤として,このA-1の記載しかなく,そのA-1自体を作るのが難しいとなるとこの判決の判断にならざるを得ないでしょう。

 しかし,謎なのは,むしろどうしてこれを特許出願したかということです。

 この特許の出願人は大手の会社で,代理人も大手の事務所です。 そうすると,不備というかミスによって明細書の記載をしくじったわけではないということが容易に推測できます。

 つまり,ノウハウ的な余計な開示はしたくなかったのでしょう。それ故チャレンジ的に一か八か,この程度の開示で特許が取れれば儲け物ということで出願したのだと思います。

 ですが,拒絶となる程度の開示しか出来なかったのですから,これは潔くノウハウ化して特許出願しない方が良かったのではないかと思います。
 A-1を作るのさえ難しいのですから,本件の潤滑油組成物は特許が無くてもそうそう真似できるものではないと思いますし。
 
 今からでも別段遅くはないのですが,特許出願費用が若干無駄になりましたね。