2015年11月30日月曜日

審決取消訴訟 特許 平成27(行ケ)10228 無効審判 無効審決 請求棄却

事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成27年11月25日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第1部
裁判長裁判官 設 樂 一
裁判官 大 寄 麻 代
裁判官 岡 田 慎 吾

「3 取消事由1(相違点1に関する判断の誤り)について
(1) 本件発明1と甲1発明との相違点1は,審決の認定(前記第2,3(2)ウ(ア))のとおりである。すなわち,本件発明1では,イオン源が「加熱可能なイオンエミッタを有しており,該イオンエミッタの場にさらされる領域が液体金属層で被覆されており」,「前記液体金属層は純粋な金属ビスマスまたは低融点のビスマス含有合金からなり,その際電場の影響下でイオンエミッタを用いてビスマスイオン混合ビームを放射可能であり」,用いるイオンビームが「n≧2」であるのに対して,引用発明では,「一次イオンビームはGa,In,Sn,Au又はBiの液体金属イオンカラム中に生成された金属イオン」であるものの,イオン源の具体的構成が不明で,用いるイオンビームが「n≧1」である点で相違する。
(2) 検討
ア 本件発明1と甲1発明の相違点1のうち,「加熱可能なイオンエミッタを有しており,該イオンエミッタの場にさらされる領域が液体金属層で被覆されて」いる構成のイオン源を,二次イオン及び後からイオン化された中性の二次粒子を分析するための質量分析器において用いることが,周知技術(甲3)であり,甲1発明のイオン源として当該周知のものを用いることに,格別の技術的困難性も,阻害要因も認められないとした審決の判断には誤りがないことは,当事者間に争いがない。
イ 甲1発明の目的は,甲1文献の記載によれば,スパイク確率モデルに基づく計算結果をkeVイオンの有機液滴スパッタリングから得られたデータと比較することによって,スパイク確率モデルの有効性を検証することにあるのに対し,本件発明1の目的は,二次イオン質量分析器の操作において,クラスターイオンに関し,改善された二次イオン生成量を有するイオン源を提供することにあるから,本件発明1と甲1発明では,その目的を共通にするものとはいえない。
 しかし,TOF-SIMS(飛行時間型質量分析器)は,パルス状の一次イオンビームを試料表面に照射し(甲3の2),試料表面から放出される二次イオンを検出して,試料表面の質量分析を行うものであるから,当業者が甲1文献に接すれば,効率のよい測定を行うために,パルス状のイオンビームとしてどのような一次イオンビームを選択すれば,二次イオンの生成量を多くできるのかということについて着想するものと認められる。

 すなわち,甲1文献には,液体金属イオン源(液体金属イオンカラム)を用いた飛行時間型二次イオン質量分析器(TOF-SIMS)用の一次イオンビームとて,①Ga,In,Biの単原子イオン(Bi+,In+,Ga+)ビームを用いた場合(図6),②Auの単原子イオン(Au+,Au2+)ビーム及びクラスターイオン(Au2+,Au3+)ビームを用いた場合(図4),③Biの単原子イオン(Bi+)ビーム及びクラスターイオン(Bi2+,Bi3+)ビームを用いた場合(図2)のそれぞれについて,二次イオン([dAMP-H]-)の生成量を測定した結果がデータとして開示されているのであるから,当業者であれば,甲1発明の目的にかかわらず,甲1文献に開示された測定結果をもとに,甲1文献に列挙された一次イオンビームの中から,二次イオン生成量の多い一次イオンビームを選択して使用することは適宜なし得ることであるといえる。
 そうすると,相違点1を解消して本件発明1の当該構成に想到することができるかについては,甲1文献に列挙された一次イオンビームの中から,Biのクラスターイオンを選択することが可能であるか否かという問題であるといえる。
・・・以上によれば,甲1文献に接した当業者は,一次イオンビームとして単原子イオンビームを用いた場合には,Ga,InよりもAu,Biが二次イオン生成量の点で優れており,さらに,一次イオンビームとして,Au,Biの単原子イオンビームよりも,Au,Biのクラスターイオンビームを用いた場合の方が,二次イオン生成量の点で優れていることを理解する。
 他方,甲1文献には,Au,Biのクラスターイオン生成量についての測定値は記載されていないため,Au,Biいずれのクラスターイオンビームが二次イオン生成量の点で優れているのかについては,直ちには明らかではないと理解するといえる。
 そこで,上記の点について,甲2文献に開示された内容を次に検討する。
ウ 甲2文献に開示された内容
・・・
エ 液体金属イオン源について,多くの応用に向けた開発が行われてきたことなど甲2文献の上記記載によれば,甲2文献に開示された技術内容は,液体金属イオン源の特性に関するものであるといえ,甲1発明と同一の液体金属イオン源を用いる技術分野に関するものであると認められる。
 そうすると,甲2文献の上記記載に接した当業者であれば,Auイオンに比べてBiイオンの方がクラスターイオンの含まれる割合が高いことから,Biのクラスターイオンビームが二次イオン生成量の点で優れていることを理解するのであって,甲1文献に列挙された一次イオンビームの中から,Biのクラスターイオンを選択することは容易になし得ることであるといえる。
 また,甲2文献に開示された実験結果は,およそ液体金属イオン源を用いる技術分野に関するものであれば,特定の分野に限定されることはないものと考えられるから,原告の指摘するように甲2文献が学術論文であったとしても,このことが,液体イオン源を飛行時間型二次イオン質量分析器(TOF-SIMS)用の一次イオンビーム源として用いることを内容とする甲1発明に,甲2文献に開示された実験結果を組み合わせることについての阻害要因になるとは認められない。
 したがって,甲1発明と本件発明1の相違点1に係る構成は,甲1発明と甲2文献に記載の技術等に基づいて,当業者が容易に想到し得たものであると認められるから,この点に関する審決の判断に誤りはない。」

「4 取消事由2(相違点2に関する判断の誤り)について
(1) 本件発明1と甲1発明との相違点2は,審決の認定(前記第2,3(2)ウ(イ))のとおりである。すなわち,本件発明1の試料が「固体試料」であるのに対し,甲1発明の試料は「グリセリン」であって,甲1文献全体の記載を参酌すれば「液体試料」である点で相違する。
・・・
ウ 甲5文献の上記記載によれば,一次イオンとして,金の単原子イオン(Au+)及びクラスターイオン(Au2+,Au3+,Au4+,Au5+)を,脂質EG(Lipid EG),ポリアニオン化合物(R4SiW12O40)及び金のターゲットに衝突させたときに生成される二次イオンの生成量が,クラスターサイズが大きくなるほど増大する傾向にあることが認められる。
 そうすると,甲1文献及び甲5文献の各記載から,Auを一次イオンとした場合には,試料(ターゲット)が液体,固体のいずれであっても,クラスターイオンの方が単原子イオンよりも二次イオンの生成率が高いということができ,スパッタリングの機序が主として物理的な現象によるものであることも考慮すれば,Biを一次イオンとした場合についても同様の結果が得られるものと推認することができる。
 以上に加えて,甲1発明において,固体試料を分析することが通常想定できないものであるなどの特段の事情も認められないことを併せて考慮すれば,甲1発明において,試料を「液体試料」から「固体試料」と置き換えることは,当業者であれば,格別の困難なく容易になし得ることであると認められる。」

【コメント】
 SIMSという分析技術の,一次イオン源に関する発明です。
 クレームはこういうものです。
【請求項1】
 二次イオン及び後からイオン化された中性の二次粒子を分析するための質量分析器であって,固体試料を照射することで二次粒子を発生させるための一次イオンビームを作り出すイオン源と,二次粒子の質量分析のための分析ユニットとを有しており,前記イオン源は,加熱可能なイオンエミッタを有しており,該イオンエミッタの場にさらされる領域が液体金属層で被覆されており,該液体金属層は一次イオンビームとして放射されかつイオン化される金属を含有しており,該一次イオンビームは,異なるイオン化段階とクラスター状態とを有する金属イオンを含有しているものにおいて,
 前記液体金属層は純粋な金属ビスマスまたは低融点のビスマス含有合金からなり,その際電場の影響下でイオンエミッタを用いてビスマスイオン混合ビームを放射可能であり,該ビスマスイオン混合ビームから,それらの質量が単原子の1重または多重に電荷されたビスマスイオンBiP+の複数倍となる複数のビスマスイオン種のうちの1種が,フィルタ手段により,質量の純粋なイオンビームとしてろ過可能であり,該イオンビームは1種類のBiP+イオンのみから成っており,その際n≧2およびp≧1であり,かつnとpはそれぞれ自然数であることを特徴とする質量分析器。
」 (添字のP+は上付き文字です。他方1やnは下付き文字です。)

 審決では,進歩性がないとして,無効になってしまいました。
 ということで,一致点・相違点は以下のとおりです。
イ 一致点
 二次イオン及び後からイオン化された中性の二次粒子を分析するための質量分析器であって,試料を照射することで二次粒子を発生させるための一次イオンビームを作り出すイオン源と,二次粒子の質量分析のための分析ユニットとを有しており,液体金属層は一次イオンビームとして放射されかつイオン化される金属を含有しており,該一次イオンビームは,異なるイオン化段階とクラスター状態とを有する金属イオンを含有しているものにおいて,
 イオン混合ビームから,それらの質量が単原子の1重または多重に電荷された特定のイオンの複数倍となる複数の特定イオン種のうちの1種が,フィルタ手段により,質量の純粋なイオンビームとしてろ過可能であり,該イオンビームは質量が単原子のn倍でp重に電化された1種類の特定のイオンのみから成っており,p≧1であり,かるnとpはそれぞれ自然数である質量分析器
ウ 相違点
(ア) 相違点1
 本件発明1では,イオン源が「加熱可能なイオンエミッタを有しており,該イオンエミッタの場にさらされる領域が液体金属層で被覆されており」,「前記液体金属層は純粋な金属ビスマスまたは低融点のビスマス含有合金からなり,その際電場の影響下でイオンエミッタを用いてビスマスイオン混合ビームを放射可能であり」,用いるイオンビームが「n≧2」であるのに対して,引用発明では,「一次イオンビームはGa,In,Sn,Au又はBiの液体金属イオンカラム中に生成された金属イオン」であるものの,イオン源の具体的構成が不明で,用いるイオンビームが「n≧1」である点
(イ) 相違点2
 本件発明1の試料が「固体試料」であるのに対し,引用発明のそれは「グリセリン」であって,甲1文献の全体の記載を参酌すれば「液体試料」である点 。

 そして,判旨にもあるとおり,相違点1の,「加熱可能なイオンエミッタを有しており,該イオンエミッタの場にさらされる領域が液体金属層で被覆されており」の部分は周知技術ということですので,問題にはなっておりません。
 要するに,ポイントは,液体金属Biのイオンビームが着想可能かどうか?ということです。

 そして,今回の判旨では,甲1と甲2は組み合わせることができる,つまり動機付けはOKとしております(それ故,審決を取消しておりません。)。
 しかし,甲1は,本来のSIMSの使用法ではありません。甲1は,別目的のため(スパイク確率モデルの検討及び妥当性に関して検証)に,SIMSの装置を借用したわけです。ですので,二次イオンを発生させる試料として,相違点2のように,液体試料を使っているわけです。

 また,甲2もSIMSの装置ではありません。甲2は,液体金属イオン源に関してだけの論文です。SIMSに使うことを前提としたものではありません。
 ですので, 今回の判決は,久々の逆張り(つまりはアンチパテント)の判決ではないかと思います。

 数年前の,進歩性でのプロパテント時代なら,これくらいだと動機付けがない!(識者によっては,主引例適格性の問題などと言われているものです。)として,審決が取り消された可能性が結構高いと思います。

 裁判といえども,人が判断するものですから,流行り廃りがあります。
 一時期は何でもかんでも進歩性なしとされました(同一技術分野論などの時代)。
 そして,その後,飯村部長の合議体で,新傾向判決が連発され,それが他の部へも波及し(部長の交代,飯村さんの所長就任など),進歩性プロパテントの時代が到来しました。
 現時点(2015.11)でも,進歩性プロパテントの時代は続いていると思われていたのですが,若干違う面も出てきたわけです。
 この判決は,知財高裁第一部,つまりは設樂所長の合議体の判断ですから,これからの推移を慎重に見守る必要があると思います。