2016年9月15日木曜日

侵害訴訟 特許 平成27(ワ)23129  東京地裁 請求棄却

事件番号
事件名
 特許権侵害差止等請求事件
裁判年月日
 平成28年8月30日
裁判所名
 東京地方裁判所民事第46部
裁判長裁判官 長谷川 浩二
裁判官 藤原典子
裁判官 中嶋邦人

「 (1) 乙6発明と本件発明の一致点及び相違点
ア 乙6ウェブページは本件特許の出願前である平成19年6月14日にインターネット上で公開されたものであるから(乙6,弁論の全趣旨),乙6ウェブページに掲載された乙6発明は日本国内において電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明(特許法29条1項3号)に当たる。
 そして,証拠(乙6)及び弁論の全趣旨によれば,乙6発明は,水,グリセリン,クエン酸(本件発明の「pH調整剤」に相当する。),リン酸アスコルビルマグネシウム,オレイン酸ポリグリセリル-10(同「ポリグリセリン脂肪酸エステル」に相当する。),ヘマトコッカスプルビアリス油(同「アスタキサンチン」に相当する。),トコフェロール,レシチン(同「リン脂質」に相当する。)等の35の成分を含む美容液(同「スキンケア用化粧料」に相当する。)に関する発明であり,このうちオレイン酸ポリグリセリル-10,ヘマトコッカスプルビアリス油及びレシチンはエマルジョン粒子となっているものであると認められる。
 そうすると,本件発明と乙6発明は,本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値が特定されていない点で相違し,その余の点で一致する。
イ これに対し,原告は,当業者は乙6ウェブページに掲載されている内容は原告旧製品の全成分であると認識するところ,原告旧製品のpHの値は7.9~8.3であるから,本件発明と乙6発明の相違点は,本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値が7.9~8.3の範囲である点となる旨主張する。
 そこで判断するに,原告の上記主張は,原告旧製品自体の成分を検査すればpHの値を知ることができるというにとどまるものであって,本件の関係証拠上,技術常識を踏まえてみても乙6ウェブページに掲載されている内容自体からpHが7.9~8.3であると導くことができるとは認められない。したがって,乙6発明においてpHの値は特定されていないと解するのが相当であって,原告の上記主張を採用することはできない。
(2) 相違点の容易想到性
ア 後掲の証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
(ア) 化粧品(医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律2条2項の「医薬部外品」及び同条3項の「化粧品」に当たるもの)の基本的かつ重要な品質特性としては,安全性,安定性,有用性,使用性が挙げられ,化粧品の設計に当たっては,まず配合薬剤の基剤中における安定性に留意する必要がある。薬剤の安定化にはpH,温度,光,配合禁忌面から同時に配合する成分の影響を把握しておくことが重要となる。安定化の方法としては,酸素を断つ方法や酸化防止剤の配合,pH調整剤,金属イオン封鎖剤の配合や最適配合量の水準,不純物質の除去,生産プロセスにおける温度安定性の工夫,原料レベルでの安定な保管などの方法がある。化粧水等の化粧品の品質検査項目としては,外観や匂い等の官能検査,pH,比重,透明度,粘度,有効成分等の定量試験などの項目があり,化粧品の安定化を図るためにpH調整剤を用いることやpHを測定することは一般的に行われている。(乙9の1及び2,27)
(イ) 皮膚に直接塗布する化粧品のpHは,皮膚への安全性を考慮して,弱酸性(約pH4以上)~弱アルカリ性(約pH9以下)の範囲で調整される。実際に市販されている化粧品については,そのpHが人体の皮膚表面のpHと同じ弱酸性の範囲(pH5.5~6.5程度)に設定されているものも多い。(乙8の1~6,22)イ 上記の認定事実によれば,化粧品の安定性は重要な品質特性であり,化粧品の製造工程において常に問題とされるものであるところ,pHの調整が安定化の手法として通常用いられるものであって,pHが化粧品の一般的な品質検査項目として挙げられているというのであるから,pHの値が特定されていない化粧品である乙6発明に接した当業者においては,pHという要素に着目し,化粧品の安定化を図るためにこれを調整し,最適なpHを設定することを当然に試みるものと解される。そして,化粧品が人体の皮膚に直接使用するものであり,おのずからそのpHの値が弱酸性~弱アルカリ性の範囲に設定されることになり,殊に皮膚表面と同じ弱酸性とされることも多いという化粧品の特性に照らすと(前記ア(イ)),化粧品である乙6発明のpHを上記範囲に含まれる5.0~7.5に設定することが格別困難であるとはうかがわれない。
 そうすると,相違点に係る本件発明の構成は当業者であれば容易に想到し得るものであると解するのが相当である。
ウ これに対し,原告は,①乙6ウェブページは原告旧製品に関するものであり,●(省略)●その解決手段としては様々なものがあるから,pHを調整するという手段を選択することは容易になし得ない,③乙6発明に含まれるリン酸アスコルビルマグネシウムはpHが酸性~中性の範囲で不安定な成分であることが技術常識であったから,pHの値を酸性側である5.0~7.5に変更することには積極的な阻害要因があった,④本件発明はpHを5.0~7.5の範囲とすることで●(省略)●アスタキサンチンの安定性の大幅な向上という顕著な効果を奏したなどとして,本件発明は進歩性を有する旨主張する。
 そこで判断するに,まず,上記①及び②については,前記イで説示したとおり,安定性は化粧品の製造工程において常に問題とされる化粧品の品質特性であり,pHの調整が安定化のための一般的な手法であることからすれば,乙6ウェブページに掲載されている成分リストが販売開始から間もない原告旧製品のものであるとしても,当業者が化粧品の安定性の確保,向上という課題を全く認識しないということはできないし,pHの調整という手法を採用することが困難であったということもできない。
 次に,上記③については,原告は乙6発明のpHが7.9~8.3であることを前提にこれを酸性側に変更することの阻害要因を主張するが,そのような前提を採ることができないことは前記(1)イのとおりである。この点をおくとしても,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件特許の出願当時,(a)リン酸アスコルビルマグネシウム単体の水溶液については,pHが8~9の弱アルカリ性の領域においては安定とされていたが,pHが中性~酸性の範囲においては安定性に問題があるとされていたこと(甲30~32,50~55),⒝リン酸アスコルビルマグネシウムを含む化粧料について,弱酸性における安定性を改善する手法が検討されており(甲31,50~52,61,乙10の2,25),実際にリン酸アスコルビルマグネシウムを含有する弱酸性の化粧品が販売されていたこと(乙28,29)が認められる。これら事実関係によれば,リン酸アスコルビルマグネシウムに加え他の成分を含む化粧品については,弱酸性下における安定性の改善が試みられており,現に製品としても販売されていたのであるから,原告が主張するリン酸アスコルビルマグネシウム単体の水溶液が酸性下においてその安定性に問題があるという事情は,乙6発明の美容液のpHを弱酸性の範囲に調整することの阻害要因とならないと解するのが相当である。
 上記④については,前記イで説示したとおり,pHの調整が化粧品の安定性を高めるための手法として周知であったことからすると,本件発明の実施例について吸光度の残存率の高さや性状変化の少なさといった経時安定性の測定結果が良好であったとしても(本件明細書の【表4】~【表6】),●(省略)●予測し得る範囲を超えた顕著な効果を奏するとは認められない。
したがって,原告の上記主張①~④はいずれも採用することができない。
(3) まとめ
 以上によれば,本件発明は乙6発明に基づいて容易に発明することができたものであるから,原告は本件特許権を行使することができない。」

【コメント】
 本件は,大手の会社同士(富士フイルムとDHC)で化粧品を巡って争われた特許権侵害訴訟の事件です。
 マスコミでも多少報道されたようです。

さて,クレームは以下のとおりです(第5046756号)。
本件発明1
1-A (a)アスタキサンチン,ポリグリセリン脂肪酸エステル,及びリン脂質又はその誘導体を含むエマルジョン粒子;
1-B (b)リン酸アスコルビルマグネシウム,及びリン酸アスコルビルナトリウムから選ばれる少なくとも1種のアスコルビン酸誘導体;並びに
1-C (c)pH調整剤
1-D を含有する,pHが5.0~7.5のスキンケア用化粧料。


 被告は,多少構成要件該当性を争ってはいるのですが,本件でのポイントは無効論の方です(進歩性)。

 本件では,主引例が,乙6という,本件特許の出願の5ヶ月前に発売された原告の旧製品のウェブ上のデータのようです。

 そして,その主引例発明との一致点・相違点は,以下のとおりとなります。
本件発明と乙6発明は,本件発明のpHの値が5.0~7.5の範囲であるのに対し,乙6発明のpHの値が特定されていない点で相違し,その余の点で一致する。

 つまり,pHが若干酸性寄りなのですね。他方,乙6のpHは不特定とはなっていますが,実際には若干アルカリ性寄りだったようです(乙6発明のpH(7.9~8.3))。

 さて,本件の判決ですが,人間の肌に使うものなのだから,そのpHを肌のpHと大体同じくらいに設定するということは,容易想到としているわけです。

 これに対して,上記の報道のとおり,無効審判(2015-800026)では真逆の結果です。
 無効審判でも同じ証拠が使われておりますが(無効審判での甲1),無効審判では,pH値の違いについて,動機付けがないとされております。

甲3の1~甲3の6からは、化粧品のpHを弱酸性~弱アルカリ性とすることは技術常識であるように見受けられる。また、甲4の1~甲4の2からは、化粧品 のpHのコントロールは化粧品の安定化の一つの手段であることが認識できる。しかし、甲1に記載された「エフ スクエア アイ インフィルトレート セラ ム リンクル エッセンス」は乙1を参照すれば●(省略)●の化粧品であるといえる。そして、例え上記技術常識があるとしても、引用発明1にかかる技術常 識を導入する契機、すなわち、かかる化粧品を弱酸性~弱アルカリ性と設定することの動機づけとなるような記載を甲1から見出すことはできない。このため、 上記技術常識や甲4の1~甲4の2の記載事項をもってしても、本件特許発明1が、引用発明1、あるいは引用発明1と甲3の1~甲3の6、甲4の1~甲4の 2の記載に基づいて当業者が容易になし得たものとはいえない。

 ですので,審決は,pHの違いが微差ではなく,動機付けが必要なものであると考え,その動機付けになるものが無かったので,進歩性ありとしたのでしょうね。
 他方,判決は上記のとおりで,pHの違いが微差であり,設計事項等であると判断したのだと思います。 

 さて,原告の方は,当然おさまりがつかず,控訴するのだと思いますし,審決の方は,既に出訴されています(平28行ケ10092で,知財高裁の1部に係属。)。
 ですので,今後は,知財高裁の1部で決着がつくのだと思います。

 で,その結論予想ですが,審決と判決を比べて見ると,判決に分があるかなと思います。やはり,引例との差がpH値しかないというのは,典型的な数値限定発明と言え,そうすると,数値の臨界点意義がないとこれで進歩性を認めるのが難しいからです。

 審決の方は,若干権利者に優し過ぎる感がありますね。

 なお,和解もあるかもしれません。今後要注目です。